2011年4月25日月曜日

ソマリア動画(2010年11月撮影)

前回取材時に撮影してきた動画を簡単に編集しました。

モガディシュ到着→モガディシュの景色→AU(アフリカ連合)軍の装甲兵員輸送車での移動→モガディシュ中心部→AU軍とアルシャバブが奪い合っている戦術上重要な拠点のビルの屋上→AU軍コンパウンドへの帰投

という流れです。

2011年1月24日月曜日

「人間の尊厳」の講義を終えて

リハビリ中の少女たち
リハビリ中の元子ども兵士の少女たち

先日1月9日に行わせてもらった慶應大学「人間の尊厳」の講義にて、受講してくれた学生さんたちが書いてくれたリアクションペーパーへの回答と、拝読させてもらった感想です。


リアクションペーパー内で一番多かった質問は、「なぜウガンダのゲリラ(LRA/神の抵抗軍)を、ウガンダ政府や国際社会は放置しているのか?」というもの。

講義の際、このあたりの状況に関して私の説明が不十分だったため、誤解を招いてしまったようですが、決してウガンダ政府と国際社会はLRAを放置しているわけではありません。


ICC(国際刑事裁判所)は、2005年7月にLRAのリーダーであるジョセフ・コニーを始めとす る5名の幹部に対し、人道に対する罪、強姦を含む殺人・奴隷・性的奴隷・子どもへの入隊強制などの罪で逮捕状を出し、ウガンダ政府は、何度もLRAと交渉 の席を設けたり(双方の要求が折り合わず、すべて決裂しましたが…)、隣国のスーダン(当時の北スーダン)と共同で2002に「鉄の拳作戦」、2008 年~2009年に「ライトニングサンダー作戦」を南部スーダン政府・コンゴ民主共和国と合同で行いLRAの殲滅を計っています。


しかし、その効果がどれほどあったのかと問われると、なかなか厳しい現実があります。

2006年に行われたウガンダ政府とLRAの最後の交渉では、ICCの逮捕状の取り扱いが大きなネックになり、ウガンダ政府が行った軍事作戦もウガンダ北 部からLRAを追い出すことに成功し組織を弱体化したものの、隣国コンゴ民主共和国や中央アフリカ、スーダン南部へと戦禍が拡大しました。


物的証拠が何もないので、あくまでも推測に過ぎないのですが、LRAが殲滅されないのは何らかの理由があるのではないかと思っています。なぜなら、現在LRAが活動している場所は、複数の国の国境付近に位置するレアメタルやダイアモンド・金・石油などが眠る地域です。


実際に2009年3月、「ライトニングサンダー作戦」に従軍し当時前線があったコンゴ民主共和国のガランバ国立公園に行ったのですが、ベースキャンプも一般の兵士たちも、殲滅戦を行っている気配はまるでなく、非常にのんびりした雰囲気が漂っていました。

これはウガンダに限らずソマリアもアフガンもイラクも同様だと思うのですが、情報通信網が発達し、経済・宗教・政治が非常に複雑化した昨今、多くの国や組 織がひとつの紛争が生み出す様々なメリット・デメリットに関与しているため、以前と比較すると「紛争を起こすのは簡単になり、終わらせるのは困難」になっ ているように思います。


そのため、ウガンダ政府も国際社会もLRAを放置しているわけではなく、問題を終結させるようアクションは起こしているものの、様々な思惑が絡み合い、未だLRAは健在なのです。


約300のリアクションペーパーには多種多様な感想が記されていて、とても読み応えがありました。特に今回感じたのは、感受性が強く多角的な視点を持ち、 そして冷静に物事を判断する力を持っている方が多いということでした。お世辞ではなく本当に「日本の未来も捨てたもんじゃない」と、嬉しくなりました。


ただ同時に一つだけ気になったのは、「アフリカの子ども達と比べると自分は甘えている」、「自分には存在価値がない」、「日々、ダラダラ生きている自分に 嫌気がさした」など、「日本という豊かで平和で恵まれた国で生きているのに……」という思いからくる反省の言葉が相当多く記されていたことです。


確かに現在の日本では、毎日銃弾が飛び交うことも、誘拐され兵士にされることも、強制的に人を殺させられることもありません。しかし、講義の際にもお伝え した「13年連続自殺者3万人超」という事実が示すとおり、「普通・常識」という名の目に見えない巨大なプレッシャーと幼少期から向き合って一生を過ごす つらさは、アフリカでは感じることのないものです。(アフリカにいて私が心地良い理由の一つは、そこにあります)


そのため決して日本に生まれ日本で生きている自分を卑下する必要は全くなく、日本とアフリカそれぞれの短所ではなく長所に目を向けて、どんなことでもかまわないので、自信と勇気を持って新しい一歩を踏み出し、前に進んでいって欲しいと思います。


最後に、今回伝えさせて頂いた内容は、あくまでも私という一個人のフィルターを通した写真や映像であり考え方です。もしアフリカの現状に興味を持ってくれた方がいれば、是非、自分で色々な情報を探して、自分なりの結論にたどり着いてください。

そして、機会があれば是非、一度アフリカの大地に立ち、アフリカの匂いを嗅ぎ、アフリカの厳しさと優しさに触れてみてください。きっと人生観がかわりますよ。


(付記)
最後に流した子ども達の映像から、前に進むエネルギーを感じ取ってくれた方が何人かいたようで、とても嬉しく思います。

2010年11月17日水曜日

2010年ソマリア取材

 
無数の銃痕が刻まれた家
20年間内戦が続くモガディシュで、銃痕のない家は存在しない。フロントライン付近で放棄されていた家には、まったく生活の匂いが残っていなかった。(2010年11月撮影)

Twitterはたまに更新しているものの、このままだとまたブログを放置してしまいそうなので、この間の取材で撮影してきた写真をアップしていきます。

装甲兵員輸送車
AU(アフリカ連合)軍の敷地から外に出るときは、必ず防弾チョッキとヘルメット着用の上、この装甲へ委員輸送車で移動する。 (2010年11月撮影)

APCで移動する兵士
灼熱の太陽が照りつけるモガディシュでは、装甲兵員輸送車(Armored Personnel Carrier / APC)内はサウナと化す。 (2010年11月撮影)

銃撃の準備をするAU軍兵士
モガディシュに銃声が響かない日はない。私の取材中も、フロントラインで激しい銃撃戦が行われていた。 (2010年11月撮影)
過去にも銃撃戦に出くわしたことは何度かありましたが、ここまで激しい戦闘を取材するのは初めての経験でした。そのときの様子はビデオで撮影してあるので、近日アップします。


戦闘で死亡したアルシャバブの兵士
AU軍との銃撃戦で死亡したアルシャバブ兵士。痩せこけた体。ボロボロの服。そして、レンズの向こうから私を見つめるガラスのように澄んだ目――。多くのことを考えさせられました。 (2010年11月撮影)


アルシャバブの戦闘車両
この地域の重要拠点である背後のビルを防衛していたアルシャバブのテクニカル(戦闘車両)。 (2010年11月撮影)

2010年11月15日月曜日

いよいよソマリアへ

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ソマリア民兵
前回(2002年)訪問時のソマリア

紆余曲折がありすぎましたが、なんとか明日(15日)から水曜日(17日)まで、AU(アフリカ連合)軍として現地で活動中のウガンダ軍に従軍し、ソマリアの首都モガディシュに行けることになりました。

前回訪問したのは2002年1月。
当時のソマリアはたとえるなら日本の戦国時代。首都モガディシュの覇権を巡り、10近い軍閥の間で争いが行われていました。
その後暫定政府ができ、いくつかの軍閥間で和解もみられましたが、イスラム過激派が反暫定政府の武装勢力以来ソマリアの状況が大きく良くなることはなく今にいたります。

ソマリアの歴史・紛争の詳細はこちら(外務省HP)をご覧頂くとして、私の今回の取材目的は、今月初旬に国連でも報告された「武装組織による子ども兵士徴用問題」です。
ウガンダ北部の武装組織LRAに誘拐され、兵士にされた子ども達を長く取材させてもらってきましたが、どうやらソマリアも以前からの噂以上に、相当酷い状況にあるようです。

若干LRAのケースと違っているのは、誘拐ではなく本人の合意による徴用という名目になっていることなのですが、実際のところは避難民キャンプや市井で暮らす人々に強いプレッシャーをかけ、ほぼ強制的に子ども達を供給させているケースが多いというのが実態のようです。

本当は現在中央アフリカで依然、誘拐を始め残虐な活動を続けているLRAの取材にも行きたかったのですが、こちらは誰に聞いても「あ~、それは無理」との回答で、正規のラインでは行けなさそうなので、今回はソマリアに絞って取材をしてきたいと思います。

最も、実際に現場に行ってみないことには、何をどこまで取材できるか分からないのですが、3週間かけて得ることができたこの機会、しっかりと現地で何が起きているのか、見てきます。

2010年11月10日水曜日

ウガンダ大統領選挙




今年の取材で何度も行く手を阻まれているのは、ウガンダ大統領選挙キャンペーンです。
アフリカの選挙では血が流れるシーンばかりが日本には伝わりがちですが、日本の選挙とはひと味違い、なかなか面白いこともあります。

この動画は、最近必ず一日に一度は目にする、現大統領ムセベニ氏のオフィシャルラップビデオです。
現地の雰囲気もあるのでしょうが、ここ数日、耳から離れません…。

2010年11月8日月曜日

コロンベ

コロンベ
やっと14歳になっていたコロンベ(左から2番目)。

本日、娘のコロンベに会いに行きました。
前回会った時よりさらに少し背が高くなっていた彼女は、嬉しいことに今年からセカンダリースクールに通っているそうです。

そしてここ最近恒例になっている年齢について恐る恐る尋ねると、「14歳になった」とのこと。
長かった永遠の12歳がやっと終りました。(過去の記事参照

相変わらずシャイで、自分のことを話すときは呟くように小さな声なのですが、「得意な科目は英語とフランス語」というだけあって、英語は前回会ったときより遙かに上達していて、普通に会話ができるレベルになっていました。(次回は確実に私より上になってるんだろうな…)

ちなみに将来の夢は、お医者さんになりたいそうです。
ルワンダ内戦が生み出した戦災孤児の一人である彼女に初めて出会ったのは1997年。
おそらく彼女は2歳くらいだったと思います。
その後毎年写真を撮らせてもらってきたのですが、彼女はフランス語とルワンダ語しか話せなかったため常にだれか通訳が必要でした。(私もフランス語を勉強しようと本は買いました。本は…)

「いつか直接話しをしたい」というのが夢だったので、色々と話しができて本当に嬉しかったです。

そして、もう一つ嬉しいことがあります。
マルティン家
私が名前をつけさせてもらった赤ちゃんと、その両親
前回のルワンダ訪問中(昨年12月)、コロンベを育ててくれている家族のお嬢さんが男の子を出産し、その翌日にお祝いに病院に行ったところ、その子の名前を日本語でつけて欲しいと言われ、厚かましくも私が名付け親になりました。
(恥ずかしいので、どんな名前をつけたかは秘密です)

てっきり私はミドルネームだと思いこんでいたのですが、今日、その子にも会いに行ったところ、なんとファーストネームでした。
とても可愛い利発な子で、これからルワンダに来る楽しみがまた増えました。

明日、再びウガンダに戻り、再度ソマリア行きの調整に入ります。
なかなかうまく事が進まず、ちょっと落ち込んでいたのですが、このルワンダ訪問で色んなモヤモヤが吹っ飛びました。

また明日から気持ちを新たに、頑張ります!

2010年10月26日火曜日

一週間経ちましたが…

現大統領のムセベニ氏
ホテルを出たところに貼ってあった、現大統領ムセベニ氏のポスター
Twitterには書きましたが、今日は来年の選挙に向けてのノミネーーションデーだったらしく、コンタクトする予定の皆さん、大統領一緒に国内を走り回っているらしく、誰も携帯の電源が入っていませんでした。

日本を出発して、はや一週間。
焦る気持ちを必死で押さえています。

明日こそ、いい日になりますように!