2011年7月10日日曜日

祝! 南スーダン独立

昨日2011年7月9日。
南スーダンが無事に独立を果たしました。

私が南スーダンを訪問したのは2005年6月。
当時南スーダンの首都はまだ決まっておらず、「現在の首都『ジュバ』かそのやや北側に位置する『ルンベック』のどちらかになる」といわれていて、私は自身の日程上、フライトの便が良かった「ルンベック」を訪問することにしました。

現地ではテントホテル(敷地内に張られたテントを部屋と呼ぶホテル)に宿泊し、その暑さにヘロヘロになりつつも、帰る頃にはすっかり南部スーダンのファンになってしまいました。

なぜなら、長期間紛争と共に生きてきたはずの人々の雰囲気が、他のルワンダやウガンダ北部とはまったく違い、とても穏やかで取材をしていて心地良かったからです。
以前から他のジャーナリストや援助関係者たちに話しを聞いていると、一番好きな国に南部スーダンを挙げる人が多かったのですが、実際に現地に行き、とても納得しました。
以下の写真は、幻の首都になってしまった2005年当時のルンベックです。

ダルフールを含めLRA(神の抵抗軍)が跋扈している南西部の不安定要素、南北スーダン間の石油利権分配や領土問題など、スーダン情勢はまだまだ予断を許さない状況ですが、なんとか平和裏に新しい国造りが進んでいくことを切に祈ります。

広大なスーダンの国土
南スーダンの国土は広い。ナイル川近辺は多くの緑に覆われているが、同時にブッシュと呼ばれる乾いた大地も果てしなく広がっている。

放置されたままの戦車
放置されたままの戦車の残骸。当時は、長期にわたる紛争の傷跡が目に見える形でそこかしこに横たわっていた。

地雷ポスター
当時はまだそこかしこに多くの地雷が埋まっていたため、人々が集まる場所には必ずこのポスターが貼ってあった。

エアドロップをするWFPの航空機
対戦車地雷が多数埋められていた南スーダンでは、広大な国土も相まって食料の運搬が容易ではなかった。そのため国連世界食糧計画(WFP)は航空機から食料などを投下することでその任を果たしていた。

エアドロップで投下された食料
エアドロップは、事前に時間と場所を地上スタッフと綿密に打ち合わせした上で、数度分けて投下する。地上に落ちてきた食料は直ちに地上スタッフたちにより拾い集められ、その後地域住民に分配される。

家を建てる帰還難民
先祖代々暮らしてきた土地は人々にとって特別な意味を持っている。紛争で跡形もなくなってしまった自分たちの村。しかし長期間難民として異国で暮らし、疲れきっているはずの人々の背中には喜びと希望が漲っていた。

マーケットの様子
当時のルンベック最大の市場。見た目は貧相だが、終戦を機に隣国ケニアから多くの商品が持ち込まれ、現地の人々が生活するために必要な物はだいたい揃うようになっていた。

マーケットで魚を売る少年たち
小さな小さな干し魚。しかしこれも立派な商品。

青空学校で数学の勉強をする元子ども兵士の少年たち
青空学校で数学の勉強をする元子ども兵士の少年たち。1983年~2004年まで続いた内戦により、兵士としての生活を余儀なくされていた子どもたちは、学ぶことに飢えていた。

手を振るガールズスクールの少女たち
BBCのクルーと一緒に訪問したガールズスクール。終戦直後で外国人が珍しかったからか、カ メラを向けるとすぐに人だかりができて撮影が進まず、BBCのクルーと相談し、一方が囮になり派手なパフォーマンスで注意を引きつけ、その隙にもう一方が 撮影をすることにした。これは私が囮の時に撮った写真。でも今ではお気に入りの一枚。

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