先ほど空港近くの町エンテベのホテルに移動しました。明朝のフラ
イトは7:30。遅くとも6時にはチェックインしなければならず 、早朝の移動では過去に何度もドライバーの寝坊に泣かされてきた ので、少しでもリスクを減らしたいと思いまして。もっとも自分が 寝坊したら元も子もないので気をつけねば。
2013年12月10日火曜日
2013年12月9日月曜日
取材日程確定
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モガディシュ行きのチケット |
ソマリア取材、なんとか日程組めました。なんと驚いた事に、ウガ
その後1週間現地で取材を行い、18日にルワンダに移動。娘のコ
ロンベ(14年前から撮影させてもらっているルワンダ内戦の戦災 孤児)に会った後、20日にウガンダへ。そして翌21日に帰国の 途に着きます。かなりハードな日程になってしまいましたが、いよ いよここからが本番、頑張ります!
2013年12月5日木曜日
コメント掲載
先日、私のコメントが掲載されるとお知らせさせて頂いた週刊文春は、本日12月5日発売です。
記事タイトルは「中国は世界の嫌われ者!」。
ちょっと過激なタイトルですが、今回文春さんからお話を頂き改めて色々とインタビューしてみた結果、中流階級以下の人々からは実際にかなり辛辣な回答が戻ってきました。
以前は取材中にその精力的な動きを頻繁に目にし「国家のエネルギーと行動力が違う」と感嘆していたのですが、ここ数年に関しては明らかに「やり方が強引」かつ「急いでいる」と見えてなりません。
ここウガンダでも現在大規模なインフラ整備を始め石油の採掘権を得るなど、確実にその影響力は拡大し続けています。
ただ同時に、某りんご社を始めnokiaなどの人気スマホを始め日本製PCの中国産コピー商品が大量に流入し社会問題化しています。
実際ここ最近「ここで売ってる日本製は偽物ばかりだから、多少高くても良いから日本で買ってきてくれ」と話を持ちかけられることが増えました。
この記事→ http://chimpreports.com/index.php/mobile/business/14472-uia-fake-goods-both-local-and-chinese-factor.html が、国と一般市民の温度差を顕著に表しているのではないかと。(かなり強引に要約すると「偽物の氾濫は政府も問題だと認識している。でもその全てが中国から来ているわけではないので、中国だけを悪者にするのはやめましょう」という感じです)
このウガンダにとって、これから始まる石油産業は国の浮沈を左右する最重要事項。
中国のアフリカにおける活動、今後も目が離せません。
記事タイトルは「中国は世界の嫌われ者!」。
ちょっと過激なタイトルですが、今回文春さんからお話を頂き改めて色々とインタビューしてみた結果、中流階級以下の人々からは実際にかなり辛辣な回答が戻ってきました。
以前は取材中にその精力的な動きを頻繁に目にし「国家のエネルギーと行動力が違う」と感嘆していたのですが、ここ数年に関しては明らかに「やり方が強引」かつ「急いでいる」と見えてなりません。
ここウガンダでも現在大規模なインフラ整備を始め石油の採掘権を得るなど、確実にその影響力は拡大し続けています。
ただ同時に、某りんご社を始めnokiaなどの人気スマホを始め日本製PCの中国産コピー商品が大量に流入し社会問題化しています。
実際ここ最近「ここで売ってる日本製は偽物ばかりだから、多少高くても良いから日本で買ってきてくれ」と話を持ちかけられることが増えました。
この記事→ http://chimpreports.com/index.php/mobile/business/14472-uia-fake-goods-both-local-and-chinese-factor.html が、国と一般市民の温度差を顕著に表しているのではないかと。(かなり強引に要約すると「偽物の氾濫は政府も問題だと認識している。でもその全てが中国から来ているわけではないので、中国だけを悪者にするのはやめましょう」という感じです)
このウガンダにとって、これから始まる石油産業は国の浮沈を左右する最重要事項。
中国のアフリカにおける活動、今後も目が離せません。
2012年12月21日金曜日
2012年取材(ウガンダ・中央アフリカ・帰国)
【2012年12月2日】
昨日、無事にウガンダに戻りました。首都カンパラのちょっと下町に位置する常宿に滞在中ですが、ルワンダの首都キガリと比べると車の数が多すぎて大気汚染がかなり酷いのが気にかかります。(写真)今回ルワンダ往復時に乗ったウガンダ航空の機体【2012年12月6日】
搦手からのアプローチも不発。本日は一日ホテルで過ごしてしまいました。時間はあるので自作の執筆をしているのですが4年以上かかってまだ第一章の中盤(全八章予定…)。初アフリカから現在までを綴る予定ですが、やっと初めてアフリカ大陸に上陸したところ。なんとか今回第一章は終わらせたいな…。
【2012年12月7日】
(17時30分)今日の地震のニュース驚きました。ニュースを見ている限りでは幸い大きな被害はなかったようですが、皆さん大丈夫だったでしょうか?こちらはダメもとでジェネラルに電話したところ、本日ウガンダに戻ってきて現在会議中とのこと。うまくいくと今日会える可能性が出てきたので、現在待機中です。
(18時30分)残念ながら今日(金曜日)会うことは出来ませんでしたが、電話で直接話し、明日の夕刻会う約束をもらえました。もっともここまでの展開を考えると手放しで喜ぶ事はできませんが...。明日こそ芳しい報告ができるよう祈ってます。
【2012年12月8日】
(16時43分)約束より20分早くオフィスに到着。今日こそは!!
(18時)いまエンテベ空港(首都カンパラから35キロ離れたウガンダの国際空港がある町)にいらっしゃるとの情報。「19時頃にはつくんじゃないかな」とオフィスの兵士。会えるのであれば何時まででも待ちます。
(20時)待ちました3時間。途中で20人位のボディーガードに守られ防衛大臣がジェネラルに会いに来ました。「今日こそ!」と思いました。が、緊急事態発生らしくジェネラルはエンテベのエアベースに引き返し今日はカンパラには戻って来ないそうです。一応明日17時にアポは取れましたが。明日こそかな...。
【2012年12月9日】
(16時30分)今日も万が一を考えて30分前に来てしまいましたが、もちろんまだいらっしゃいません。
今日こそは!!本当にお願いします。(今日は日曜日ということが、かなり懸念事項ではあるんですが...)
今日こそは!!本当にお願いします。(今日は日曜日ということが、かなり懸念事項ではあるんですが...)
(18時)無事にジェネラルとの打ち合わせが終わり、水曜日から中央アフリカに行けることになりました!しかもジェネラルの業務に同行させていただく形なので、大事件が起こらない限り間違いなく行けそうです。現在、調整業務をしている方の到着待ち。詳細が決まったらまた報告します。
【2012年12月10日】
今のところ順調です。中央アフリカ取材の詳細に関して、本日軍から連絡があり、水曜朝6時に空軍基地集合し南スーダンのYambio(ヤンビオ)→http://mcaf.ee/e3wty に向かうそうです。その後の展開は現地入りしてから別途調整する形になると思います。
今回の取材趣旨は、「LRAおよびリーダーのコニーの現状」、「現在行われている作戦の進捗(そういえばこの作戦の名称を聞いたことがないような…)」、「LRAによる人的被害および地域社会への影響」の三点。そして可能であれば討伐作戦が行われている前線への同行です。
ヤンビオがベースなら、どうにか民間の回線を確保できそうなのですが、中央アフリカかコンゴ民がベースになると立地的に(中央アフリカ/http://t.co/L4x8boJh)(コンゴ民/ http://t.co/sLjNNXjV)とても期待できないため、その際はウガンダに戻ってからまとめて報告します。
ちなみに「どのような場所に宿泊するか」「ウガンダに戻る日」もまだ未定です。ただ22日の便で日本に帰国しなければならないため、非常に残念ですが日程的にソマリア取材は見送らなければならない可能性が高くなってきました…。まあ全てはフタを開けてみないと分らないので後は流れに身を任せます。
【参考】LRAに関して~【記事】http://t.co/q6T7CJvb(「映画『War Dance』パンフレット寄稿原稿」・「社会新報『Child Soldie』」/かなり古いです…。帰国したらアップデートします)【写真】http://t.co/iMFy3F6H(子ども兵士-ウガンダ)
【2012年12月11日】

でも一番欲しかった蛇用の忌避剤が見つかりません...。日本で買ってくるべきだったなぁ...。
【2012年12月12日】
【2012年12月13日】
ンザラは電話もつながるかどうか怪しい田舎で、とてもネット環境は確保できないため、今はヤンビオのラジオ局で回線を借りて接続しています。(写真)現在滞在している「ヌザラ」のベースキャンプ
【2012年12月14日】
昨日と本日は、ジェネラルの会議が続いたためベースキャンプでボーッとする日々でした。でもついに明日から中央アフリカ・コンゴ民主共和国に行けるようなので、しっかりと取材をしてきます。また時間ができた時にヤンビオまできて報告したいと思います。(ウガンダへは19日に戻る予定です)
【2012年12月15日】
残念ながらまだ南スーダンから出られてません。本日は前線に行ける予定だったんですがフライトが急病人搬送のため急遽ウガンダ行きになってしまったのですることがなくなり、代わりにヤンビオまで連れてきてもらいました。明日こそは中央アフリカのオボに行けるはずなので、引き続き頑張ります。
(ちょっとだけリアルタイム)
私が今いるベースキャンプを紹介します。
写真は滑走路。見ての通り未舗装なので、ヘリや小型のプロペラ機しか着陸できません。ベースキャンプは滑走路の脇にあるので、離着陸のたびに激しい砂埃に襲われます。

【2012年12月19日】
(18時)今、なんとか無事にウガンダ北部のアルアという町まで戻ってきました。これからエンテベに戻り、そのままカンパラに移動します。
(23時)先ほどカンパラに到着し定宿で一週間ぶりにビールを飲んでます。都合14時間かかりましたが今日ウガンダに戻れたのは僥倖でした。昨夜は帰国予定日に間に合わない可能性が高くかなり焦ってました。詳細は明日にして今日はシャワーを浴びてゆっくり寝ます。
【2012年12月21日】
明日の帰国に備え現在お世話になった方々へのお礼参り中です。中央アフリカ・ディジャマはデータ通信どころか電話さえ通じない場所だったため、結局、何一つRealtimeに発信できなかったのは非常に残念ですが、最前線に行くことができ、色々と引っかかっていた事柄が解きほぐされました。
詳細は帰国後ブログで報告する予定ですが、ンジャマの人々の暮らしを始め、LRA殲滅作戦が長期間にわたっている理由、誘拐された子ども達が今どんな環境で生きているか、身をもって知る事ができました。
後は無事に日本に戻るだけですが、先日のルワンダ行きのドタバタもあるので気を抜かないように気をつけます。最後に、今回の取材に際し全面的にご協力くださった元帥と現地で取材調整を行ってくださった作戦司令官を始め、ウガンダ人民国防軍の方々に深く感謝いたします。ありがとうございました!
【2012年12月23日】
本日夕刻無事に帰宅し悩んだあげく夕食はラーメンにしました。さすがに夜になると日本の方が寒いですが、中央アフリカの朝は今の季節の夕刻並だったので、意外とすんなり日本の冬に適応できそうです。今回はほとんどリアルタイムではありませんでしたが、お付き合いくださりありがとうございました。
2012年11月30日金曜日
2012年取材(出発からルワンダまで)
2012年の取材時にTwitterで発信した情報のまとめです。(2015年1月18日作成)
【2012年11月9日】
アフリカ取材の日程が決まりました。11月21日~12月21日。ウガンダから入りソマリア・ルワンダ、そして今年こそなんとかLRAがいる中央アフリカに行ければと考えています。【2012年11月21日】
今、成田空港です。一年ぶりの取材でちょっと緊張していますが、現場勘を早く取り戻せるように、まずは焦らずしっかりと現地での準備を進めたいと思います。一年で唯一の「realtime press」な時間。
頑張ってきます!
【2012年11月22日】

【2012年11月23日】
去年、暴漢に襲われ瀕死の怪我をしたナボス。 http://t.co/EQlrfwtU とても嬉しい事に、順調に回復しドライバーとして復帰していました。ただ、今からいつもお世話になってる元大臣(現国会議員兼県知事兼社長兼その他たくさん)の所に行くのですが、待ち合わせ場所で事故に巻き込まれたor起こしたらしく揉めてます。
結局、事故のトラブルは警察も来てちょっとドタバタしましたが、なんとか示談で終わりました。そしてナボスとは昨年の事もあるので、「恐らく元大臣が送ってくれるから大丈夫だと思うけど、万が一足がない状態になったら連絡するね」と伝え、早めに帰宅してもらいました。
【2012年11月24日】
元大臣とお会いした後、元大臣のイタリア人友人の方達と夕食を食べ先程(ウガンダ時間で深夜1時)ホテルに戻ったんですが、なんと私のことを心配して無事に帰られたかどうか確認するため、ナボスがわざわざ電話をくれたのです。この時間まで寝ないてまっててくれた彼の優しさに感動しました。
写真は昨日連れて行ってもらったイタリアンレストランです(アフリカにもこういう場所はあるんです)。かなり雰囲気がよく料理もおいしかったです。今日は今から元大臣の姪御さんの結婚式に参列。今日はトラディショナルな式らしいので楽しみです。
【2012年11月24日】
油断大敵。頭でだけ分かっていても、やっぱりダメですね…。ひったくりに携帯を奪われかけ、出発間際に今回の取材用に買った物が壊れてしまいました。完全に私の油断で、間抜けなことに渋滞中の車で窓を開けたままメールをしていたのが敗因です。
私は助手席に乗っていたんですが、突然車の右後方を激しく殴る音がし「何事!?」と振り返った瞬間、窓の外から手が伸び私の手の中の携帯を奪いとりました。幸い盗難防止用にベルトからチェーンで繋いでいたので犯人もそのまま奪えず、その間に周囲にいた人達が邪魔をしてくれ一旦は取り押さえました。
その拍子に犯人の手から携帯が落ち、無惨な姿になってしまったのです。そして仲間が駆け寄ってくる姿が見えたので携帯を拾い上げ安全確保のため(武器を持ってる可能性があるので)車に乗り込みました。
幸いこんな事もあろうかと二台予備を持って来ているので大きな支障は出なさそうですが、プロの手口、勉強になりました。アフリカで犯罪に遭うのは10年ぶり(三度目)でショックはショックですが、幸い怪我はなく機材的にも致命傷ではないので、身も心も引き締まって良かった気がします。
【2012年11月25日】
(14時)ウガンダ軍トップのジェネラルとアポが取れ、今、軍のヘッドクオーターオフィスにいます。ここまでは順調。後は今からの交渉次第なので頑張ります!
(18時)急遽大統領との打ち合わせが入ってしまったらしく、5分だけでしたがジェネラルと話し、無事中央アフリカ+ソマリア従軍の許諾をもらい、来週月曜に再度打合せする事になりました。明日は昨年手間取った広報責任者の中佐(少佐から昇進したらしいです)に前もって根回ししてきます。
【2012年11月27日】
残念ながらまだ中佐と連絡がとれません…。でも布石は打ったので明日から土曜日までルワンダに行こうと思います。昨年は諸事情により行けなかったため娘のコロンベ→ http://t.co/Hmi9Sler との再会は二年ぶり。どれだけ成長しているか楽しみです!【2012年11月28日】

(15時)まだルワンダのビザをもらえません…。やばいかも。。


(16時45分)空港まであと24キロ。車のダメージが心配なので、最高速度は50キロに限定。到着予測時刻はは17時5~10分。チェックインに間に合うかどうか際どいところです。(こんな事でRealtime pressしてる場合じゃないんですが…)
(17時45分)なんとかギリギリ間に合いました…。タイヤが穴にはまって立ち往生した時は、「これはもうダメかな」と思いましたが、幸いその後、いつもは大渋滞のポイントが空いてたりして、滑り込みセーフでした。次回こそはハプニングではなく、仕事でRealtime Pressしたいものです。
【2012年11月29日】

【2012年11月30日】
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子どもたちとサッカーに興じるコロンベ |
そんな時、まだ幼かったコロンベの笑顔を見て「戦争孤児のこの子が結婚して子どもを産み、自分の家族を持つまでを記録しよう」と、ふと思いつきました。
いつになるか分りませんが、ルワンダで撮影する最後の一枚は「腕の中に自分の子どもを抱え、旦那さんと一緒に幸せそうに微笑むコロンベ」になる予定です(ただ、実際にいざ年頃になってきた姿をみていると、変な男に引っかからないか心配で心配で…)。
2012年8月16日木曜日
紛争地を取材するということ
山本美香さんがシリアで亡くなられた事件、非常にショックで、ここ数日自問自答を続けていました。
遠い昔に一度簡単にご挨拶させて頂いた事しかなかったのですが、各種メディアを通して常に紛争の最前線で取材をされている姿を拝見しており、ジャー ナリストとしての姿勢を尊敬するとともに、私には、怖くてとても踏み込めない現場に足を運ぶ行動力と勇気に畏敬の念を抱いていました。
シリアには行ったことがない上に詳しく情勢を分析していたわけでもないので、ネットに溢れているシリア関連の動画と、海外メディアが伝えている ニュースから想像するしかないのですが、様々な不確定要素が複雑に絡み合う、全ての判断が非常に難しい現場だったのではないかと思います。
山本さんの映像にもあったように、市中にはまだ一般市民が残って生活しているうえに、見た目で政府軍と反体制軍の区別がつきにくい。さらには空爆もあり、恐らくスナイパーもいたことでしょう……。
どこが比較的安全で、どこが非常に危険なのか――。
その境界があまりにも曖昧で不確定、さらに刻々とその状況すらも変化する現場。
山本さんが最期に撮影された映像を拝見し、「もし自分がこの場にいたら?」と想像すると、経験豊富な山本さんですら読み切れなかった危険な兆候を、サラリーマンを兼業し年に一度しか取材に行かない私が感じ取れるはずもなく……。
恐怖で手に嫌な汗が噴き出し、自身の死とその死が周囲の方々に及ぼす影響について沈思しました。
紛争地を取材するフリージャーナリストという職業は派手なイメージが強いかもしれません。
しかし実のところ金銭面でも精神面でもなかなか厳しく、単純に職業として考えた場合、あまり割に合わない仕事です。
「ではなぜ、好き好んで危険な現場に足を運ぶ必要があるのか?」。
他の紛争地を取材するフリージャーナリストに確認したわけではなく個人的な考えですが、それは誰もが心に持つ「幸福という名のパズル」を完成させるために必要なピースが、偶然そこにあるからではないかと思います。
「幸福」というのは非常に難しい物で、人それぞれ基準が異なる上に時間の経過と共に変化し続けるため、紀元前から世界各国の偉人賢人たちがその解明に取り組んできたにも関わらず、未だ「こうすれば一生幸福でいられる」という明確な手法はありません。
家族・恋人・友人・社会的地位・自己顕示欲・お金・健康・安定・刺激・使命感などなど、人は各々「幸福という名のパズル」を完成させるためのピースを無数に持ち、さらに個々のピースは「人によって」さらには「その時々」で、その「大きさ」や「形」が変化します。
その「幸福という名のパズル」を完成させるために必要な「最大のピース」が、偶然、紛争地と呼ばれる場所にあり、たまたま「伝える」という形だった人が、紛争地に赴くフリージャーナリストとなるのではないかと私は思っています。
昨今の紛争は様々な要素が複雑に絡み合いその要因は複雑化していますが、いまこの瞬間もシリアを始め銃弾が飛び交う最前線では、戦う人々双方に信じる正義があり守る物があり、その思いが悲しみと憎しみを生み出し続けています。
今回自問自答を続ける中で、「紛争地取材を止める」という選択肢も考えました。
しかし考えれば考えるほど、私にとっての「最大のピース」が――「人の手により生み出され、人の手により解決可能な『理不尽』の根絶」――である限り、そ して今まで取材を受けてくれた方々を裏切らないためにも、やはり紛争地取材は避けて通れないと再認識するに至りました。
どんなに注意しても準備しても、100%の安全を確保することは不可能です。でも可能な限り100%に近づける努力をし、今まで以上に「無事に帰国する」という強い意志を持って、自分のペースで取材を続けていこうと改めて決意しました。
「なぜ紛争地取材を続けてるんですか?」、「数多くの紛争地を見て、人間とは何だと思いましたか?」、etc。
業界の末席に名を連ねさせてもらっている身として、山本さんに色々お聞きしたかったです……。
山本さんの夭逝に心から哀悼の意を表します。
遠い昔に一度簡単にご挨拶させて頂いた事しかなかったのですが、各種メディアを通して常に紛争の最前線で取材をされている姿を拝見しており、ジャー ナリストとしての姿勢を尊敬するとともに、私には、怖くてとても踏み込めない現場に足を運ぶ行動力と勇気に畏敬の念を抱いていました。
シリアには行ったことがない上に詳しく情勢を分析していたわけでもないので、ネットに溢れているシリア関連の動画と、海外メディアが伝えている ニュースから想像するしかないのですが、様々な不確定要素が複雑に絡み合う、全ての判断が非常に難しい現場だったのではないかと思います。
山本さんの映像にもあったように、市中にはまだ一般市民が残って生活しているうえに、見た目で政府軍と反体制軍の区別がつきにくい。さらには空爆もあり、恐らくスナイパーもいたことでしょう……。
どこが比較的安全で、どこが非常に危険なのか――。
その境界があまりにも曖昧で不確定、さらに刻々とその状況すらも変化する現場。
山本さんが最期に撮影された映像を拝見し、「もし自分がこの場にいたら?」と想像すると、経験豊富な山本さんですら読み切れなかった危険な兆候を、サラリーマンを兼業し年に一度しか取材に行かない私が感じ取れるはずもなく……。
恐怖で手に嫌な汗が噴き出し、自身の死とその死が周囲の方々に及ぼす影響について沈思しました。
紛争地を取材するフリージャーナリストという職業は派手なイメージが強いかもしれません。
しかし実のところ金銭面でも精神面でもなかなか厳しく、単純に職業として考えた場合、あまり割に合わない仕事です。
「ではなぜ、好き好んで危険な現場に足を運ぶ必要があるのか?」。
他の紛争地を取材するフリージャーナリストに確認したわけではなく個人的な考えですが、それは誰もが心に持つ「幸福という名のパズル」を完成させるために必要なピースが、偶然そこにあるからではないかと思います。
「幸福」というのは非常に難しい物で、人それぞれ基準が異なる上に時間の経過と共に変化し続けるため、紀元前から世界各国の偉人賢人たちがその解明に取り組んできたにも関わらず、未だ「こうすれば一生幸福でいられる」という明確な手法はありません。
家族・恋人・友人・社会的地位・自己顕示欲・お金・健康・安定・刺激・使命感などなど、人は各々「幸福という名のパズル」を完成させるためのピースを無数に持ち、さらに個々のピースは「人によって」さらには「その時々」で、その「大きさ」や「形」が変化します。
その「幸福という名のパズル」を完成させるために必要な「最大のピース」が、偶然、紛争地と呼ばれる場所にあり、たまたま「伝える」という形だった人が、紛争地に赴くフリージャーナリストとなるのではないかと私は思っています。
昨今の紛争は様々な要素が複雑に絡み合いその要因は複雑化していますが、いまこの瞬間もシリアを始め銃弾が飛び交う最前線では、戦う人々双方に信じる正義があり守る物があり、その思いが悲しみと憎しみを生み出し続けています。
今回自問自答を続ける中で、「紛争地取材を止める」という選択肢も考えました。
しかし考えれば考えるほど、私にとっての「最大のピース」が――「人の手により生み出され、人の手により解決可能な『理不尽』の根絶」――である限り、そ して今まで取材を受けてくれた方々を裏切らないためにも、やはり紛争地取材は避けて通れないと再認識するに至りました。
どんなに注意しても準備しても、100%の安全を確保することは不可能です。でも可能な限り100%に近づける努力をし、今まで以上に「無事に帰国する」という強い意志を持って、自分のペースで取材を続けていこうと改めて決意しました。
「なぜ紛争地取材を続けてるんですか?」、「数多くの紛争地を見て、人間とは何だと思いましたか?」、etc。
業界の末席に名を連ねさせてもらっている身として、山本さんに色々お聞きしたかったです……。
山本さんの夭逝に心から哀悼の意を表します。
2012年7月30日月曜日
エボラ出血熱
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エボラ出血熱、感染容疑者隔離病棟入り口 (撮影/ウガンダ 2001年) |
バイオセーフティーレベルで最も危険なレベル4に分類されるエボラ出血熱は、未だ自然界の宿主が分からず、有効な治療方法もありません。
その 感染経路は接触感染だといわれていますが、フィロウイルス科のレトロウイルスであるエボラウイルスは、その性質上、自らを複製する際にコピーミスを起こしやすく、突然変異を起こし飛沫感染になる可能性もあり得るそうです。
私は、初めてウガンダでエボラ出血熱が発生した2000年に、アウトブレイクの中心地だった町に入ったのですが、銃弾が飛び交う戦場とは全く異なる「眼に見えないウイルスの恐怖」を肌で感じ、「なんでこんな所に来ちゃったんだろ……」と心の底から後悔しました。
しかし取材を通して、「感染の恐怖と戦いながら隔離病棟内で感染容疑者を診察する医療従事者」、「WHO(世界保険機構)やCDCなどの国際機関の迅速な対応」、「感染拡大を防ぐため地域を巡回して聞き取り調査を行ったり、病院や医療スタッフのサポートなどを行うウガンダ各地から駆けつけたボランティアの方々」など、「人間vs感染症」の最前線を見させてもらい、そのシステマチックな対応と人々の勇気に感銘を受けました。
残念ながら今回もすでに14名の死亡者(感染者20名/2012年7月30日時点)が出てしまい、内9名は一家族とのこと……。
おそらくその原因は、2000年のアウトブレイク時も同様のケースが多数あったのですが、現地の風習として行われている死者との最期の別れとして行われる「口づけ」だと思われます。
ウイルスの活動が最も活発になるのは亡くなった直後であるため、その「口づけ」により死者の表皮から感染してしまうのです。
「正直なところ、何人かの人が亡くなるまでその症状がエボラだとは分からない」。
2000年の取材時に、現地で治療をしていたある医療関係者から聞いた言葉です。事実、エボラだと判明するまでに診察・治療した医療関係者が、今回も2000年も亡くなってしまっています。
「口づけ」の風習も同様で、その疾病がエボラ出血熱だと分かるまで防ぎようがないでしょう。
飛行機を始めとする高速移動体が網の目のように張り巡らされている現代。
アフリカのウガンダで発生したエボラ出血熱が他国に飛び火する可能性はゼロではないと思いますが、各国で可能な限りの準備は行っています。
(日本も2000年のアウトブレイク時に、ウイルス性出血熱の診療を目的に初めて日本人専門家5名を現地に派遣したり、各空港で感染症対応訓練を行ったりしています)
しかし、国の対応だけではウイルスは防ぎきれません。
最も重要なのは、我々一人一人が日々注意することです。
「一般的にできる最大にして唯一の予防方法は、手洗いだね。外出先から帰ってきた時、食事の前、トイレの後、こまめに石けんを使い手を洗う事こそが、誰でもできる最も効果的な予防だよ」。
2000年のアウトブレイク中に行われたプレスカンファレンスで、「私たち一般人がウイルスから身を守るには、いったいどうすればよいのか?」とのウガンダ記者からの質問に対し、最高責任者だった厚生大臣が返した答えです。
子どもの頃から耳が痛くなるほど聞く台詞ですが、アウトブレイク中に聞くととても重く、以来私はこまめに手洗いをするようになりました。
現在も現地では多くの方々が感染拡大を防ぐため、最前を尽くしてくれています。亡くなられた方々に哀悼の意を表すとともに、今も最前線で戦い続けている関係者の方々の無事と、一刻も早い終息を心から祈ります。
【関連リンク】 Gallery~「見えない暗殺者-エボラ出血熱」
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