2009年12月13日日曜日

ウガンダの結婚式と披露宴

結婚式中の新郎新婦
結婚式中の新郎新婦。一番右側にいるのが、スティーブン。

今までアフリカの結婚式は、モロッコとルワンダで参列させてもらったことがありました。
しかし残念ながら両方とも新郎新婦と直接の知り合いというわけではなく、その友人に招待されての参加でした。

残念ながら今回も新郎新婦とは会ったことがありませんでしたが、2000年にエボラ出血熱の取材に同行して以来の友人であるスティーブンが、花婿の 介添え役である「Best Man(新郎にとって最も重要な人がお願いされる、とても名誉な役割)」として式に出るため、良い機会だから私にウガンダの結婚式を見てもらいたいと考え 招待してくれたようです。
(*先日の記事で「媒酌人」と書きましたが、微妙に違いました)

飾りをつけた車
移動中に新郎新婦が乗る車は、リボンで飾りつけられています。昨日は日取りが良かったのか、式場に向かう間に20台以上、同様に飾り付けられた車を見ました。

式が行われている場所に私が到着した時、すでに式は終盤に差し掛かっていたのですが、幸せそうな新郎新婦の横で、新郎とまったく同じ衣装(そういう決まりらしい)を纏ったスティーブンが、予想通り、緊張してぎこちない笑みを浮かべている姿を見ることが出来ました。
(彼とは長いつきあいなので、双方の失敗や笑い話を知り尽くしています。たまにその出来事をネタに話をするので、今回の緊張した顔も良いネタになりそうです)

移動中の景色
移動中、アフリカ特有の抜けるような青空が広がっていた

式が終わると披露宴会場に参列者全員で移動するのですが、新郎新婦と一部の人たちは、ウガンダで今一番人気のスポットで写真撮影をしてから向かうとのこと

せっかくなので私も同行させてもらったのですが、驚きました。
とにかく豪華!!

広大な敷地の真ん中には滝が流れ、その周囲は見事に整備された芝生と青々とした木々が植えられ、その敷地の両側には外から見ても一目瞭然なほど空間を贅沢に使った部屋が並んでいます。

豪華なホテルの中庭
このホテルは、2007年に行われたCHOGM(英連邦首脳会議)のために建てられた。
そして、その全てが世界第三位の淡水湖「ビクトリア」の絶景に面しているのです。
アフリカに通い始めて早18年。
色々なアフリカを見てきたつもりでしたが、まだまだ知らないことも多いと思い知らされた景色でした。
(この世界的な不況下、ウガンダを訪れる観光客が激減している中、これだけ豪華なホテルが順調な経営が出来るはずもなく、色々ときな臭い噂もあるようですが…)
ビクトリア湖を背景に記念写真
ホテルの敷地内にはヨットハーバーもあり、一泊いくらか値段を聞くことも恐れ多いほど豪華な作りだった。

最も景色の良い場所では、多くの新郎新婦が思い思いのポーズで写真を撮っていて、幸せオーラがそこかしこに漂っていました。
昔、私はホテルでアルバイトをしていたのですが、世界中どこでも一緒ですね。

幸せ一杯の二人を取り囲み、手にしたカメラや携帯で写真を撮る人々の表情も、笑顔、笑顔、笑顔。
今後の取材を考えると、新しく買ったカメラとビデオに幸せなシーンを記録させてあげられて、良かったです。

披露宴会場
出席者は100名ほど。これくらいの規模がウガンダの中流階級の平均だとのこと。

一時間ほど撮影会を行った一行は披露宴会場である、教会に移動。
先乗りしていた友人や会社関係者が大歓声で出迎えられ、披露宴の開始です。
こちらも日本と変わらず、会社の上司や学生時代の恩師などがスピーチを行いました。
(日本と違っていたのは、新婦の恩師がスピーチの替わりに歌を披露したことです。またそれがプロ並みにうまい!)

披露宴での食事
見た目は微妙に感じる人もいるかも知れないが、味はまあまあ美味しかった。

その後出席者に食事が振る舞われました。
途中でお皿やフォークが足りなくなるハプニングもありましたが、新郎新婦の友人達による見事なマネージメントで滞りなく、全員に食事が行き渡りました。

新郎新婦によるケーキ入刀
日本と同じように、出席者がカメラを片手に新郎新婦を取り囲んでいた。

食事を終えた後は披露宴のハイライト、こちらもお馴染みケーキ入刀。
たくさんのフラッシュが光る中、少しはにかみながら目を見合わせ、ナイフを握っている二人が印象的でした。

新郎新婦による祝辞
新郎はよほど新婦のことが好きらしく、何度も何度も「絶対に幸せにします!!」と絶叫していた

披露宴の締めは新郎新婦による謝辞。
新郎は新婦の親族に「新婦を妻に迎えられてどれほど幸せか。これから二人で大切な家庭を築き、必ず幸せにします」と、声を枯らして伝えていました。
本当に幸せそうな二人の記念すべき日に立ち会え、うれしかったです。
どうぞ今後も末永くお幸せに~!

2009年12月12日土曜日

カンパラ

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カンパラの町並み。ごらんの通り結構な都会です。基本的な日常生活には、まったく困りません。

ウガンダ到着4日目。
昨日は無事にプレスカードも入手し、徐々に取材への準備を整えています。
それにしても相変わらず渋滞が酷い。
左の写真の通り、カンパラは結構な都会です。

そのため多くの車が町中に流入してくるのですが、その台数に道路のキャパが全く追いついていないため、いつも至る所で渋滞が発生し、クラクションが鳴っています。
さてさて、こちらも週末。

窓の外ではパーティーがあるらしく、大音量で音楽が鳴り始めました。
今から私も結婚式に参列してきます。
10年来の友人であるスティーブンが、ウガンダ人カップルの結婚式で媒酌人をつとめるらしく、なぜか私も招待されました(新郎新婦とはまったく面識ありませんが…)

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ホテルでの夕食。インド人が経営するホテルなので、ここのところ毎日インド料理料理三昧です…

それにしても、ウガンダの結婚式でも日本と同じように媒酌人というシステムが存在することは知りませんでした。
普段は過ぎるほど冷静沈着なスティーブンですが、特殊な状況下では意外と緊張するところもあるので、無事に媒酌人を努められるのか、見守ってきます

2009年12月10日木曜日

ウガンダ着

ドバイの高級ワインバー
トランジット中のドバイにて。

今回は不時着でどこかの国に寄ることもなく、昨日、無事にウガンダに到着しました。
まあまったく何事もなかったというわけではなく、羽田のカウンターでチェックインしようとすると係員の方が「あれ??」というリアクション。

その後、何度もどこかに電話をかけて何かを確認している様子。
どうやら日程変更が完了していたはずのチケットが、実際は変更されていなかったようです。

結局、関西空港ですでにウガンダの代理店に支払い済みの日程変更代金を再度支払い、座席に空きがあったので何とか無事に乗ることが出来ました。

前回とは違い、比較的に順調にスタートした今回。
良い取材が出来るように、今から各種調整に入ります。

(写真説明)
世界的にそうなんだと思いますが、ドバイ空港における喫煙者の扱いは残酷です。
もし無料でタバコが吸いたいなら、だだっ広い空港のはずれにあるただ一カ所の喫煙所に行かなければなりません。

今回私が搭乗予定のゲートは真反対にあったため、片道15分もかかるというのです。
そんなに時間に余裕がなかったため、旅のはじめから贅沢だと思いつつも、出発ゲートのそばにあったもう一カ所の喫煙できる場所「高級ワインバー」に入ってしまいました…。
そこまでして吸わなくても。という声が聞こえてきそうですが…。

2009年12月8日火曜日

いよいよ出発です。が……

ウガンダに残してきた荷物
これだけ現地に置いてると、スーツケースも軽いです

なんか変です。
思ったよりも準備が早く終わってしまいました。

ん~、でも忘れ物がありそうで怖い…。

前回、ウガンダの友人に重い荷物や日本で使用しない物を預けてきたので、いつもと比べるとパッキングも比較的スムーズに終わりました。
スーツケース内も余裕があるし(入っているのはほとんどお土産関係)、カメラバックもコンパクトな機材を導入した関係で、いつもより軽い。だからこそ、自分の性格を考えると、なにか忘れていそうで怖いです。

もっとも今までの取材も忘れ物しないで行ったことはないので、「何を忘れるか」が問題ですが…。

軽くなったとはいえ結構な重さの荷物なので、いまから自宅までタクシーを呼んで隣駅まで行き、そこからリムジンバスで羽田空港に向かいます。
ではでは、無事に帰国することを第一に、1ヶ月間行ってきます!!

2009年11月29日日曜日

アフリカ取材に行きます

1991年初めてのアフリカ
前回の取材で不時着した飛行機。今回は何事もなく着くことを祈っています

12月8日から2010年1月8日までの予定で、アフリカ取材に行ってきます。

今年春の取材で、日本から買っていった往復のチケットの復路分がダメになり(ガランバ国立公園にいたため、出発に間に合わなかった)、改めてウガン ダで1年オープンの往復チケットを買っていたのですが、日程変更を行えるのは現地代理店だけということで、調整に若干手間取りました。

今回のメイン取材は2001年に一度訪問したソマリアの首都モガディシュか、LRAが現在いるといわれている中央アフリカ共和国。
大まかな日程は下記のとおりの予定です。

(12月9日)ウガンダ着-(12月中旬まで)メイン取材の調整と北部ウガンダの継続取材-(12月下旬)メイン取材もしくはルワンダ取材-(来年1月上旬)メイン取材もしくはルワンダ取材。

日本にいる間はまったく更新していないこのブログですが(前の記事で予想したとおりでした…)、現地取材中は前回と同様の頻度で更新するつもりなので、時間があるときにでも見てやってください。

いつものとおり全く準備が間に合っていないので、取り急ぎご報告まで。

2009年7月13日月曜日

近況報告

1991年初めてのアフリカ
初めてのアフリカ・エチオピアにて。当時21歳の私。改めて見ると年月を感じます

いやはや、ブログを放置して早数ヶ月たってしまいました。(過去最長かも…)
このままだと次回の取材まで更新しない可能性があるので、思いついた時に更新します。
7月に入ってから一本ずつ講義と講演をさせて頂きました。
一つは今年で5年目になる慶應大学の「人間の尊厳」。

もう一つは、三重県川越高校一年生を対象にした「ジャーナリストになるには」
振り返れば過去、結構な数の講演や講義をさせてもらいました。その度に主催者の方からいただける感想文は、私の大切な宝物の一つです。
実は私にとって講演や講義は、写真をとったり記事を書くことよりも、好きな事だったりします。
その理由は「直接、相手の反応が見える」、「話を聞いてくれた人から、その場で直接質問をもらえる」の、二点が主な理由です。


さらに聞いてくれている方々の反応を見ながら話している時や、鋭い質問をもらった時など、突然自分の口から今まで考えたことがない言葉が出てきて驚くことなどもあり、ライブ独特の雰囲気がもたらしてくれる産物は、本当にかけがえのないものです。

今回も大学生と高校生に話しを聞いてもらったわけですが、色々鋭く答えに窮する質問や私には考えつかないような感想がありました。

次の講演は今月30日。もし会場に来てくださる方がいましたら、是非何でも疑問に思ったことは遠慮無く聞いてください。
(もしその場で聞きづらい場合は、メールでも良いので御連絡ください)

2009年4月13日月曜日

記事発表予定

以前ゴリラの写真を掲載してもらった「ソトコト」という雑誌の6月号にて、今回の取材を発表させてもらえることになりました。

すでに原稿は書き終わり、現在レイアウトをしてもらっている段階です。
内容的は、ちょっと暗いものになってしまいましたが、もしよろしければご一読ください。

それにしても、気がつけば帰国してすでに1ヶ月が過ぎてしまいました。
不思議なもので、日本でドタバタしながら生活していると、ガランバフォレストで過ごした数日を始めアフリカでの日々が、現実のことでないような気がしてきます。