2014年12月23日火曜日

「アフリカ珍道中。2014年悲しい物語」

雨で大渋滞のカンパラ

まだまだ「アフリカ珍道中。2014年悲しい物語」は続くようです。


本来なら今ころはカタール・ドーハから成田に向かう機上で、よだれをたらしながら爆睡しているはずでした。
が、残念ながらまだドーハにいます……。

昨日ウガンダからドーハに向かう便に乗り込む寸前、アフリカンエクスレスの責任者から連絡があり、「いまあなたのスーツケースはナイロビにあるので、今日の『ナイロビ発成田行き』のカタール航空で送る。成田に到着したらで係員に確認して受け取って」と連絡がありました。

「おー、これでなんとかハッピーエンド!まあ、終わりよければ全て良しか…」と安心し気持良く搭乗しました。

しかし、予定時刻になっても離陸しない…。
「あ~、機長です。現在機材の点検を行っているので、しばらくお待ち下さい。安全の確認が取れ次第離陸します。サンキュ!」
とうとう飛行機にまで影響を与えてしまいました。

結局2時間遅れでウガンダ・カンパラを飛び立ち、予定の2時間遅れでカタール・ドーハに到着した時には、乗り継ぐ予定だった成田行きの便はすでに搭乗ゲートが閉じられてました。

代替案として空港スタッフから提示されたのは以下の二択。
1.今日はドーハに宿泊し、明日同じ時間に出る成田行きで帰る
2.本日午前7時20分発の羽田行きに振り替える

明日24日から仕事なので、選択肢はもちろん2番しかありません。

ただ、ただ――。
羽田到着が22時45分。自宅までの終電は23時11分。
しかもロストバゲージのスーツケースは成田に……。
どう考えても、まだ色々ありそうな予感がします。残念ながら。

「家に帰るまでが遠足」。
このミッションクリアするために、乗り越えるべきハードルの高さ+多さに愕然とする、カタール・ドーハ午前4時です。

2014年12月20日土曜日

キガリ到着

首都キガリの町中はクリスマスモード
昨日無事にルワンダに到着しました。
町中心部のラウンドアバウト(円形交差点)ど真ん中で、乗ってたタクシーのエンジンが突然止まって大渋滞を引き起こしたり......。
唯一歩いて移動しなければならない時だけ突然の大雨に見舞われたり......。
コロンべ一家が教会の計らいでプチ旅行中だったり......。
と、細かい事は色々ありましたが、なんとかコロンべとも会え、ご挨拶したかった方々にも無事にお会いできました。
ただロストバゲージのせいで、日本から持ってきていた、コロンべへのクリスマスプレゼントやお土産をお渡し出来なかったのが残念です。
18歳になり、髪にエクステンションをつけたコロンべ。
今回腕に抱えている赤ちゃんは、コロンべ一家の従姉妹の子どもですが、コロンべ自身がお母さんになる日もいよいよ近づいて来ているようです。
(今のところ「まだボーイフレンドはいない」、と言ってくれましたが)
昔の面影を残しつつも、毎年確実に少女から大人の女性になりつつあるその姿を見ていると、時の流れを感じると同時に戦争がない世界の大切さを改めて実感しました。
初めて出会った16年前のコロンべ

エクステンションをつけたため、雰囲気がぐっと大人っぽくなってました。

孤児だったコロンべを育ててくれた家族

2014年12月18日木曜日

ツイてるんだか泥沼なんだか...

試練は続きます。

空港泊、深夜3時。

ルワンダに着いたらゆっくり休もうと考え、前日あまり寝ていなかったことも影響してか、確実に体力と集中力が落ちてきていることを感じました。

このままでは、後12時間以上は耐えられないと判断し、問題のルワンダビザに関して先方からの回答を待たず、午前5時前にかなり強引かつギリギリの裏技を使い確保しました。

そして一旦ケニアに入国し、「乗り継ぎ」ではなく「新規の旅行者」として午前7時50分発のケニア航空のチケットを買いルワンダに向かおうとしました。

そこで今度ネックになったのが、モガディシュで預けた「機体預け」の荷物。
本来は乗り継ぎだったため、今回の方法で入国すると空港内に保管されたままであるため、一度空港から出てしまうとピックアップできません。

そこで、また考えうる手を尽くして尽くして、新規で買ったチケットのチェックイン締切にギリギリ間に合う6時10分に、なんとかその集積所までたどり着きました。

「やっとこれでルワンダにいける......」とホッとしたのも束の間、探しても探しても見当たらない......。

私のスーツケースは、「いつか行きたいなー」と秘かに思っていたスーダンの首都ハルツームに、主人である私を差し置いて先に初上陸しているようです。

この「離間の計」を謀ったのは、アフリカエアライン。
バッグに着いているタグの読み間違いだそうです。

その後新規で買ったチケットをキャンセルし、アフリカエアラインのスタッフに最短で戻ってくるよう調整を依頼し、一応本日20時着の便で帰ってきてくれる事になりました。

結果的に、予定通り事が運んでいれば、ルワンダに到着して初めてロストバゲージに気づく事になっていたので、アフリカエアラインのスタッフと直接交渉できた現状の方がかえって良かったようです。

ツイてるんだか悪いんだか、寝不足で意識が飛びそうな今は分かりませんが、とりあえず最善を尽くします。
(とはいえ、この後まだルワンダ航空との交渉が待ってるんですが...)

今年は......

今年は本当に凄い!

本来はちょうど今頃(12月17日午後23時)ルワンダに着いている予定だったんですが、まだケニアのジョモ・ケニヤッタ国際空港にいます。

その理由は、ルワンダビザの不備......。

今年初めてオンラインから申請したのですが、「『Invitation Letter(ルワンダ入国後、私が責任持ちますよという感じの書面)』が添付されてないので再送してください」との回答が戻ってきてしまいました。

そのため、その作成をコロンべの家族に頼んだのですが、「署名した書面をPDF化してメールで送付する」という作業は、ルワンダの一般家庭で対応してもらうにはかなりハードルが高く、相当手間をかけてしまったうえ、私がモガディシュでの仕事を優先していたため予想より時間がかかってしまいました。

結果、やはり完全版のPDF送付は難しかったため、写真に撮って送ってもらったサイン部分をワードの書面に私が埋め込みPDF化する形で、先週金曜日に再申請しました。

そして「三日以内に手続きを進めます」という再申請受付完了メール内の文言と「不備があった際の返信が当日だった事」「ビザ発給を担当している『出入国監理局』のサイト上で見られる進捗状況も問題がない事」から、「間違いなく今日中には連絡がくる」と踏んでモガディシュを発ちました。

それが甘かった...。

午後14時過ぎケニアに到着。Wi-Fiに接続してメールを確認するも受信なし。
「危ない危ない。乗り換え時間が短いフライトにしてたらアウトだった。念のため最終便にしといて良かった!」
と胸を撫で下ろしつつ、その時点ではまだ余裕がありました。

最終便はケニア時間で21時50分発。
ルワンダの出入国監理局の終業時間は恐らく17~18時30分あたりとして、時差がケニア+1時間なので、終業間際、もしくは若干遅れて送付されて来るとしてもケニア時間の20時までには届くはず。

それが私の読みでした。

しかし、毎度の事ながら時間の経過と比例して増加していく不安感。
そして想定終業時間を越えても届かないメール......。

「ビザ発給の書面がないと、搭乗券は発券出来ません」。
手を替え品を替えトランジットデスクのお姉さんを口説いたんですが、回答は常に同じ。

やがて、私が乗るはずだった飛行機は飛び立って行きました。

計画的・用意周到に行動出来ない質である事は自覚し、痛い目に遭うたび反省もしているのですが、今回ほど全てが裏目に出るのは初めてで、まるで何かに諭されている、もしくは試されている気がしてきました。

以前空港泊したのは恐らく15年前。
睡魔と戦いながら、メールが届くのを待つことにします。

2014年12月17日水曜日

モガディシュ最後の夜

 モガディシュ最後の夜もすでに深夜。
結局最終日も、国連の許可は得られたものの、そのカウンターパートであるソマリア警察から取材許可が下りず、最低限行きたかった町中の取材に出られませんでした…。
正直なところ、今回、取材という意味では近年稀に見る散々な結果に終わってしまいました…。
でも、そのお陰で少し違う側面からソマリアの復興状況を見られた気がします。
いよいよ本日早朝、ケニアに移動し空港内で6時間待った後、15年にわたり取材させてもらっている戦災孤児のコロンベに会うためルワンダに向かいます。

2014年12月16日火曜日

取材ができない…

最終日もすでに正午過ぎ。コーディネーターの方に依頼している町中の撮影許可+車両確保が難航し、まだ本日取材に出られる目処が立っていません。また明日のフライトも空港までの足確保に四苦八苦しています。鉄条網の外に出るのは本当に難しい...。

さすがはソマリア軍

さすがはソマリア軍。一筋縄ではいきません。

昨日の時点でほぼ諦めていた「ブルンジ軍によるソマリア軍のトレーニング」の取材許可が下り、本日行ってきました。

また汗だくになってコンボイ揺られること1時間。
会場であるブルンジ軍ベースキャンプに到着するとすでにセレモニーの準備が整い、双方の軍のVIPが会見用の席に座り談笑してらっしゃる姿が目に入りました。

「今日こそは、やっとまともな取材ができそうだ!」と、思いました。(その時は…)

「VIPの方々に失礼がないようにしなきゃ」と思い、コンボイを降りたその足でご挨拶にも伺いました。(意気揚々と…)

そして、テクニカル(※)の側で「たむろしている」ソマリア軍側VIPのボディーガードにも「今日はよろしくお願いします」と笑顔でご挨拶。(どう贔屓目にみても「待機している」ではないかな…)
(※)ピックアップトラックの荷台に対戦車砲や対空砲を積んだ武装車両

これで参加者に礼を失する事はなくなったので、ベースキャンプの外にいる250人のソマリア軍がゲートから入ってくる姿を撮影するため「どこが一番絵になるか」を探し、肌がジリジリと焼けてくるのを感じながら、その入場を今か今かと待ち構えていました。

しかし、しばらくすると何か揉めてる雰囲気が…。
しかも一緒にトレーニングをする相手なのに、なぜかゲートを守るブルンジ軍は臨戦態勢…。
その銃口の先には背中に「CHELSEA(イギリスのサッカーチーム)」と書かれた青いトレーナーを始め思い思いの私服で、通勤カバンのように自動小銃や対戦車砲を手にぶら下げて「たむろしている」ソマリア軍。

「今日はトレーニング初日なんで、セレモニーと人権に対する考え方などの座学だけなんだ。だから我々はベースキャンプ内への武器持ち込みをやめて欲しいと伝えてるんだけど、彼らは『それは絶対に嫌だ、受け入れられない』って引かないんだよ」と、その理由を隣にいた大尉が教えてくれました。

「人様の家に入るのに、必要のない武器をわざわざ携えて入る必要はないってソマリア軍も思うだろう。しかも上層部は武器を持たずすでに会見の席についているし。まあ、納得するにはもう少しかかるかもしれないけど」。その時点ではそう楽観視してました…。

しかし30分ほど経った時、「わざわざ来てもらったのに悪いけど、今日の会見は延期になったって」と、先ほどの大尉に耳打ちされました。

「我々も、わざわざモガディシュから運んできたテントを朝から組み立てたり、人数分の食事の準備もしてたりしたんだけどね~」
そう続けた大尉の表情は「苦虫を噛み潰したような顔」という言葉そのもの。

しばらくしてソマリア軍側VIPの面々がテクニカル(※)車内に乗り込むと、ダラダラと荷台に上がったボディーガードたちと一緒に、颯爽とベースキャンプから立ち去っていきました。
走り去るテクニカルの後ろ姿は、2002年のモガディシュ初訪問時に、初めてを見たテクニカルとダブりました。

本当に今年はこういうパターンばかりですが、残された明日一日、もう少しあがいてみます。

(追記)
昨日お伝えしたアル・シャバブによる国連施設への攻撃なのですが、恐らく使用された武器は迫撃砲、幸いすべて海に着弾したため被害はなかったそうです。